フリーライター『日日maika’i』

フリーライター杉山 忠義が書くブログです。

旧細川邸のシイ

旧細川邸とは、肥後熊本藩細川家の下屋敷のことで、今から300年ほど前の元禄16年(1703年)2月4日、忠臣蔵のモデルとなった赤穂事件を起こした大石内蔵助良雄他17名が、切腹を命じられた場所です。

 

現在は東京都の史跡に指定。「忠烈の跡(ちゅうれつのあと)」と呼ばれるその場所から徒歩5分のほどの位置に、目指すシイは立っています。

 

最寄り駅は、都営地下鉄三田線東京メトロ南北線が乗り入れる白金高輪駅で、前に紹介した善福寺の「逆さイチョウ」までは約1.6㎞の距離です。

 

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旧細川邸のシイ

旧細川邸のシイ

 

地下鉄を降り、一番出口で地上へ抜けると、そこは区の高輪地区総合支所の施設が丘陵に面して建っています。目指すシイはその丘の上、同じく駅前にある中学校を見下ろすように、切り立った崖沿いにありました。

 

旧細川邸のシイ

旧細川邸のシイ

 

状態があまり芳しくない樹だと聞いていました。たしかに、都会のど真ん中、まわりをアスファルトに囲まれている厳しい環境下です。しかし思ったよりも元気との印象を持ちました。ただこれまで紹介してきたいくつかのシイとは違い、まるで何かに天から抑えつけられているような、ずんぐりむっくりとした姿が印象的で、違和感を覚えたのも事実です。

 

それでも他のシイと同じように、無数の枝葉を千手観音のように存分に伸ばす、シイ独特の樹形は伝わってきました。

 

旧細川邸のシイ

旧細川邸のシイ

 

このようなユニークな樹形となったのには、主幹の枯れが進んだことが原因だと思われます。主幹には大きな空洞や焼け焦げた跡があり、かなりのダメージを受けていることが分かります。戦災や落雷の影響だといわれています。

 

旧細川邸のシイ

旧細川邸のシイ

 

しかし、昭和56年(1981年)の大規模な治療以降は、除々に樹勢が回復。現在では、ヒコバエとまではいかなくとも、主幹を補うようにぐるりと他の幹が弱った主幹を取り囲み、主幹に代わりに必死に栄養を得ようとがんばっている様子が伝わってきます。そしてその努力が、このような独特の見栄えを形作っていることも。根まわりには、土に酸素や栄養を送るための筒がありました(港区がケアを行っています)。

 

旧細川邸のシイ

 

樹高約10.8m、幹周り約8.1m、推定樹齢300年以上で、東京都の指定天然記念物になっており、都内でも最大級の部類に入るシイです。

 

旧細川邸のシイ

旧細川邸のシイ

 

中学校側が崖となっているため、日当たりや風通しは抜群。前の道路は住人の生活路となっているようで、犬の散歩や通学中の学生で賑わっていました。これからもますます回復して、さらに元気な姿を見せてくれることでしょう。