フリーライター『日日maika’i』

フリーライター杉山 忠義が書くブログです。

三島神社の薫蓋樟(大阪府門真市)

三島神社の薫蓋樟

 

国の天然記念物指定、新日本名木百選、大阪みどりの100選、神秘的な巨樹ベスト10(薫蓋樟は9位)、門真市の木といった具合に、数々の肩書きを持つのが、大阪府門真市三嶋神社に立つ薫蓋樟(くんがいしょう、くんがいクス)です。

 

三島神社の薫蓋樟

三島神社の薫蓋樟

三島神社の薫蓋樟

 

府内で最大、国内でも有数の大きさを誇るクスノキで、幹周り約13m、樹高約24m、推定樹齢1000年。神社が小ぢんまりとしていることもあり、その迫力たるや、実際に訪れた者を圧倒する雰囲気を持っています。

 

三島神社の薫陶楠

三島神社の薫蓋樟

 

クスノキらしく、幹も枝葉も千手観音のように自由気ままに伸びているのですが、主幹がかなりの太さのため、数本に分かれている幹それぞれも、かなりの太さです。そのため枝葉を伸ばしているというよりも、以前紹介した「金袋山のミズナラ」のように、まるで首長恐竜もしくは大蛇が、社殿や神社の壁に当たらないように、その首を伸ばしているようにも見えます。

 

三島神社の薫陶樟

三島神社の薫陶樟

三島神社の薫陶樟

三島神社の薫陶樟

 

枝張りのスケールは東西南北共に約34m。天地よりも水平方向に大きく広がっており、枝先は境内外の道路や隣の民家にまで達していました。

 

三島神社の薫陶樟

三島神社の薫陶樟

 

クスノキは社殿目前の一段あがった場所に窮屈そうに立っているのですが、スロープなどが設けられていてぐるりと一周できます。一周して見てまわると、改めて主幹の太さに驚くと共に、縦横無尽に伸びた枝葉が、社殿も含め神社全体を覆っていることが分かりました。

 

三島神社の薫陶樟

三島神社の薫陶樟

三島神社の薫陶樟

三島神社の薫陶樟

 

主幹にはコブや凹凸が目立ち、樹皮も場所によってはクスノキというよりもマツのようにゴツゴツしており、、1世紀以上生きている歴史を感じさせるに相応しい風貌です。樹勢は良好そうで、枝葉についたたくさんの葉っぱが風に揺れ奏でる、サワサワという音色にしばし癒やされました。

 

三島神社の薫陶樟

三島神社の薫陶樟

 

今でこそ元気ですが、昭和9年室戸台風や、辺りの宅地化による地下水の枯れなどにより、何度か樹勢が衰えたことがあったそうです。そこで地元の人が保存会を結成、対策を施し、現在に至っているとのことでした。

 

三島神社の薫陶樟

三島神社の薫陶樟

三島神社の薫陶樟

 

確かに、折れた大枝を修復した跡や支柱なども設けてられていて、手入れの届いている様子が伺えます。同時に、神社の地面には枯山水とまでは言いませんが、ホウキなどで掃いたのでしょう。掃除や手入れをしている跡があり清潔そのもの。巨樹も神社も愛されていることが伝わってきます。

 

なおこの木には、いくつかエピソードがあります。1つ目は、肥料代わりに日本酒を撒く習慣があったという逸話。鏡開きで使う一番大きいサイズ、一升瓶40本分の酒量に相当する四斗樽まるまるだったそうです。

 

2つ目は大正年間の頃の逸話です。近所に電灯を敷設することになり、クスノキの枝先が邪魔で少し切ったところ、剪定をした人が腹痛を起こしたそうです。そして以後、剪定は控えられるようになったんだとか。

 

三島神社の薫陶樟

 

3つ目は名前に関してです。木の根元にある歌碑の詩に由来しているとのこと。幕末に活躍した左少将・千種有文(さしょうしょう ちぐさありふみ)という人物が歌ったそうですが、歌詞が書かれているであろう石碑は表面がかなり汚れていて、確認できませんでした。

 

三島神社は、もともとは山王権現を祀った神社だったそうですが、その後の合祀などにより現在は、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、大己貴命(おおなむちのみこと)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)の三神を祀っています。

 

三島神社の薫陶樟

三島神社の薫陶樟

 

アクセスは、大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線門真南駅」から徒歩10分。あるいは大阪高速鉄道大阪モノレール線門真市駅」から徒歩30分。辺りは宅地ですが、あちらこちらに案内板が出ているので、迷うことはありません。

 

私は門真市駅からアクセスしたのですが、大阪モノレール線の各駅には1泊2日200円で利用できるレンタサイクルがあるので、利用しました。

 

あたりには、この薫蓋樟まで大きくないものの、クスノキの巨樹が多く自生しています。その理由を調べてびっくり。このあたりは太古の昔、河内湾という海の底であり、その後湖となり、湿地、田んぼを経て現在に至ったというのです。

 

中でも薫蓋樟の付近は特に低平な地域だったようで、最後まで河内湖の名残を残していたとか。実際、近くには川がいくつも流れています。おそらく造成宅地という人の手が入っていなかったら未だに湿地だったでしょう。そして、さらに大きなクスノキが自生していたかもしれません

 

目を閉じ、薫蓋樟に触れながら、そんな古の光景を私はイメージするのでした。