フリーライター『日日maika’i』

フリーライター杉山 忠義が書くブログです。

新庄之宮神社の夫婦楠

新庄之宮神社の夫婦楠

 

夫婦楠が立つ 「新庄之宮神社」は広島市の市街地、交通量の激しい国道沿いにあります。アクセスは広島駅からバスもしくはレンタサイクルで20分ほど。私が訪れた日は雨が降っていたので、バスを利用しました。「大芝町」バス停で下車すると、神社までは150mほどで、バスから降りたと同時に、巨樹の樹形が目に飛び込んできます。

 

新庄之宮神社の夫婦楠

新庄之宮神社の夫婦楠

新庄之宮神社の夫婦楠

 

一見するとあたりの環境はあまりよくなさそうですが、実はこのあたりは今も付近を流れる太田川水系が形成した、日本でも有数の三角州である「広島デルタ」の北端エリア。つまり、樹が誕生・成長していた数百年前は、おそらくあたりはアシが生い茂るような湿地帯であり、クスノキにとってはたまらない環境であったことが推測できます。

 

そのため神社以外の場所でも、このあたりにはクスノキに限らず、数多くの巨樹が立っていたそうです。

 

新庄之宮神社の夫婦楠

新庄之宮神社の夫婦楠

 

道路側が妻(雌)の樹で、幹周り約5.35m、根周り約10m。社殿側に立つのが夫(雄)のクスノキで、さすがは男性と言うのでしょうか、こちらの幹周りは妻よりも1m以上大きい約6.4m、根周りはさらに大きく約11.4mです。樹高や樹齢はどちらも同じく、約30m、500年で、県の天然記念物指定を受けています。

 

幹線道路側に立つのが妻

 

社殿側に立つのが夫

パッと見では、それほど大きさの違いは分かりません。しかし根元に目をやると、その差は歴然。夫楠の根元の強靭な様は、まさに男性らしい“隆々”という印象です。

 

新庄之宮神社の夫婦楠

新庄之宮神社の夫婦楠

 

大枝の折れなどが見られ、樹皮もあまり元気のないよう様子です。ただ葉っぱには元気がありました

 

新庄之宮神社

新庄之宮神社

 

神社の歴史は夫婦楠よりも古く、創建は正慶年間(1332~1333年)の頃。社殿は1835年に建て替えられた建築物で、歴史を感じます。

 

神社が立つ場所は、原爆が投下された場所から約2.9㎞の距離。当然、夫婦楠も社殿も被曝したことになります。ただ幸い、あたりに家屋が点在していたそうで、火災などの被害には至らなかったとのこと。そして価値ある遺物を後世に残そうと、2004年に社殿の保存工事が行われます。

 

新庄之宮神社

 

境内は意外に広く、夫婦楠以外にも大きな樹が転々と立っています。残念なことに訪れたのが寒い時期であったため、ほとんどの樹に葉っぱはありませんでしたが、暖かくなるにつれ、境内にはたくさんの緑を纏った巨樹が立ち並び、見事なオアシスを形成することでしょう。

 

新庄之宮神社の夫婦楠

 

夫婦楠の前に立つと、しめ縄がお互いを繋ぐ赤い糸に思えて仕方ありませんでした。被曝当時、しめ縄があったかどうかは分かりませんが、街の景観も含め、これまでもこれからも、夫婦で仲良く世の移り変わりを見続けていくことでしょうね。