たまにエッセイなんぞを発表してみます〜僕と音楽とレコード屋さん
ここ数日グーグルに関するオープンソース的な話ばっかりだったので、まるで僕が技術者のようですが、全く違います(笑)。コードなど全く読めませんから。本業はフリーランスのライターです。
ということで、たまにはエッセイなんぞ発表させて頂きます。コメント頂けるととても嬉しいし励みになりますので、どうぞよろしくお願い致します。
実はこのエッセイは随分以前にあるコンテストに応募した作品になります。結果は……ただ、大分リライトを施しましたので、前回よりははるかに良い出来に仕上がっていると思います。
僕の音楽とレコード屋に対する当時の思いが詰まった文章ですので、読んで頂けたら幸いです。
僕らの青春時代には音、そしてレコード屋があった
僕はレコード屋が大好きだった。このレコード屋という場所は“音楽”という手段を使って思い出を販売している場所だと思っているからだ。
若い頃クラブによく遊びに行っていた。中でもお気に入りのクラブは青山にある『BLUE』という地下2階構造の“ハコ”で、あの当時ジャズ好きな人たちが集まるクラブとしてはかなりメジャーな場所であった。そんなメジャーなジャズクラブに僕、いや僕らは毎週のように遊びに行っていた。
お目当ては『U.F.O.(UNITED FUTURE ORGANIZATION )』。3人組のDJユニットで、週末になると必ずそのブルーで彼らがレコードを回していた。
僕らはブルーで踊りながら気に入った曲がかかると、DJブースの方に寄っていきその曲をチェックした。DJによっては親切に教えてくれる人もいた。そしてその後、その気に入った曲を買いにレコード屋に足を運ぶのが楽しくてしょうがなかった。
そしてそんな行動は毎週続いた。
僕は当時青梅に住んでいたので、立川駅周辺にある新星堂やディスクインによく足を運んだ。
友達は吉祥寺に住んでいたので、地元の吉祥寺駅前にあるユニオンにやタワーレコードによく行っていた。もちろん2人で一緒にこれらのレコード屋に行くことも多かった。
その頃はちょうどアナログレコードの良さが見直された時期で、CDショップにもレコードがたくさん置いてあった。なので気に入った曲があるとCDショップ、レコード屋を問わず探しまくった。
足は伸び、渋谷のレコード屋にもよく行った。名前は……もう忘れちゃったけど(笑)渋谷駅を降りてヨヨコーに向かう道の途中にある、馬鹿でかいゲーセンの横の横の雑居ビルの途中階にそのレコード屋はあった。
当時は渋谷の街にはこのレコード屋以外にも数多くの他のレコード屋が営業しており、大抵は雑居ビル内に店を構え、音楽好きの優しいお兄さんが自分のお気に入りの曲をかけ店番をしている――そんな雰囲気を持った“粋”なレコード屋が多かった。
僕らはレコード屋で気になる曲を見つけると、そのお兄さんに視聴を頼みヘッドフォンを着け、傷をつけないようにと丁寧にレコードをジャケットから取り出し、そのレコードをターンテーブルに載せスイッチを押し針を置いた。そして、その曲を熱心に聴いた。
こんな行為をかなりの期間毎週末繰り返していた。結局ずっと探していたU.F.O.初期の2nd シングル『 Loud Minority 』を見つけることはできなかったが、友達と共にレコード屋を巡り、そして手に入れたレコードをネタに居酒屋で盛り上がる――そんな何物にも変えられない青春時代の思い出こそが、今となっては財産として僕らの胸の中で保管されている。
ありがとう音楽。そしてレコード屋さん♪
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