フリーライター『日日maika’i』

フリーライター杉山 忠義が書くブログです。

ハルキ・ムラカミはグレートだって事♪

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何だか朝っぱらから書きたい内容があったので思わずノートに書き込んでしまった。内容は文章を書くという事?行為についてである。

●文章を書くための1冊を買う。ライティング、文章の書き方に関する参考書のような1冊を買う。以前ライターとして勤務し始めた時にレポートを提出した事があった。ライティングに関する本を読んで、レポートの提出をしたのだ。その後、本は引越しの際にブックオフに売ってしまったが。

●自分で独自のルールを作る。ようは統一していればいい。

●読んでいてポンポンリズム良く読めるか否か←これが大事♪

この●はなにかというと、最近文章を書いていて、締めの文章、〜である。とか、〜だ。とか〜と思う。とかそういった締めの文に悩む事が多い。なので、朝からこんな内容の事柄を大学ノートに書いているのである。
また別の話。
小説家と呼ばれている方々は、頭の中にある物語を自分という媒体を通して表現(文章化)しているだけである。だけであるってこの行為が凄い事なのだが。この行為がアーティストなのだと思う。デザイナーといった職業も同じくアーティストであると思う。自分の頭の中に鮮明なアイデアがある。ここが大事。鮮明でないアイデア、イメージといった、デザイン、小説、料理などはまだ世間(ここでいう世間とは人の目にさらされるという意味である)に出る段階ではないという事。来るべき時、書くべき必要性、必然が来たら、泉のごとく湧き出てくるであろう。こういった、頭の中に湧き出てくるモノを持っている人達がアーティストと称されているのであると思う。来るべき時が来たら・・・って人生の指針みたいだな。
僕の知っているアーティスト。知っている?認めている?違う、違う、偉そうな言い方ですね。尊敬する。衝撃を受けたアーティストは

●川久保 玲
●村上 春樹

この2人だ。もちろん他にも素晴らしいアーティストの方々は大勢いるが、ぱっと浮かんだのはこの2人だ。もちろん良く知っているという事もある。素晴らしさを体感している、したからだ。
僕は昔木工職人をしていた。何故現在やっていないのかという事には、今日の文章とは関係がないので省略。知りたい方は個人的に聞いてください。その木工職人時代に川久保さんと一緒に仕事をさせて頂く機会に何度かめぐまれた。もちろんコム・デ・ギャルソンに関する仕事であった。その時の印象を言葉で表すと《アーティスト》《天才》《本物》こんな感じであった。こういった言葉がぴったりくる人物はそうはいないと思う。今、思いついたのはジャイアンツの長島監督くらいである。また、そうした人と接する機会というのも人生の中でそんなにあるものではないだろう。感謝感謝である。僕は木工職人時代に《デザイナー》と呼ばれている(自称も含む【笑】)方達と一緒に仕事をする機会が度々あった。洋服のデザイナー、内装のデザイナー、家具のデザイナー、何だか解らんデザイナー。様々なタイプの人間がいた。人間的に魅力のある方、すげー嫌な奴、お金の事ばかり考えている人、あんた?ほんとうにデザイナー??って人・・・。何だか僕の中ではデザイナーという言葉から得た印象はマイナスイメージのほうが多い。人間的に魅力があるから素晴らしい才能を持ったデザイナー。嫌な奴だから才能が無いデザイナー。決してイコールではなかった。と思う。思うと書いたのは断定したくないからだ。やぱり人間的に魅力のある人物が素晴らしい才能を持ったデザイナーであてほしいと願う僕の願望である。でも世の中には嫌な奴で成功している奴もけっこういるな〜。神様聞いてる?川久保さんは世間一般で言われたり、書かれているような変な人ではありません。どんな人にも気配りの出来るとても優しい魅力のある方であると僕は思います。社員には相当厳しいそうですが・・・。彼女が他のデザイナーと違うな、と感じたのは「彼女の頭の中には、はっきりとした完成品がある」という事です。実際、僕が関わっていたのはお店の内装ですが、彼女の頭の中にはしっかりとデザインされたお店がありました。なので完成したお店がそのイメージと違っていれば当然、納得しません。これはあくまで僕の感じた印象なので、本人は違うと言うかもしれませんが、彼女の凄いところというか、ギャルソンという会社の凄いところは彼女はこのイメージを絵などには描かないという事です。洋服のデザインも同じように進めるそうです。彼女のまわりにはそのイメージを具体化(図面、デッサン)する事が出来るスタッフがいます。僕は彼女、彼等を愛情を込めて《川久保ブレイン》と呼んでいたんですが【笑】。もっと詳しく話すと、店舗では施工屋、設計者が図面にして誰がみてもわかるような図面にします。洋服の方はパタンナーと呼ばれている方々がギャルソンではそういったデザイン的なことまでやるそうです。
話を村上春樹に戻します。
彼はこの作業を全て1人でやっているわけです。まじ、すごい!すげーーーー!って感じです。世の中には何かを、書きたい!と頭の中にこうしたデザインみたいなモノを持っている人達が大勢いるのではないか?と僕は思うのです。ただ、文章におとす、書き換える。デザインでいうと図面におとす、書く。といった技術がない、と結果的に作家、物書きとしては成り立たない。作家という仕事、書くという行為はとてもシンプルだと村上春樹は言っています。
「書きたいから書く。書く事があるから書く。」
書くことは決まっている。頭の中にある物語を文章化するだけだと。
この頭の中にある物語を文章化するテクニックを持った人達だけが、小説家、物書きとして世の中に認められるのです。このあたりの内容の事は僕が今読んでいる遠い太鼓

でも書いてあるので、興味のある方は是非。
彼はまたこんな事も書いています。
「書くべき時がきたから書き始めた」
彼は、大学を卒業後バー経営をしていたそうです。そして神宮球場で野球をみているときに《書こう》と思ったそうです。つまり時間が必要だったのだ。と彼は書いています。
すっげーシンプル。というかすげ〜。
いや、待てよ。今この文章を書いているのも朝の8時。正確には書き直しているので違う時間帯だが、一稿目という意味です。PCをまだ出していないので、大学ノートに書いている。これも湧き出てきた泉なのだろうか?先日も書いたが、ここ数日僕の中で、モノを書くとい行為に変化が現れているのは間違いない。この変化が時間の経過に対するモノなのか。最近多くの文章を多く読んだり、書いたり、意識的、意図的にしている自分がいる。その中での今日の朝の泉ある。すらすらと文が浮かんでくる。僕はただそれを大学ノートに書きとめるだけだった。←何だかかっこいい1文だ♪もう1度かこう。☆そう僕は頭の中にある泉から沸いてくるモノをただ大学ノートに書き写しているだけだった☆こんな事柄を書きながら小説というイメージが頭の中にある泉から沸いてこないかな、なんて考えている自分がいる。大学ノートにはこの後も文章が続いているが、どんどん違う方向向かっているのでこの辺りで。

僕が言いたい事もとってもシンプルです。

ハルキ・ムラカミはグレートだって事。

♪See You♪

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