フリーライター『日日maika’i』

フリーライター杉山 忠義が書くブログです。

与野の大カヤ

「与野の大カヤ」が立つ場所は、妙行寺(みょうぎょうじ)脇にある、金比羅天堂が建つ敷地内です。妙行寺は古くは禅寺でしたが、応永15年(1408年)日蓮宗の高僧、日英上人の勧めに従い、日蓮宗に改宗したと伝えられており、正式名称を日蓮宗東永山妙行寺と言います。

 

妙行寺は、江戸時代与野に住み松尾芭蕉を慕った俳人、鈴木荘丹(すずきそうたん)の墓があることでも有名です。

 

カヤの樹までの道のりは、JR埼京線南与野駅」から徒歩10分ほど。妙行事および金比羅天堂は、「円乗院」「弘法尊院」「与野公園」「上町氷川神社」「埼大通りのけやき並木」、そして今はなき「円阿弥(えんなみ)の竹林」と併せて「与野新八景」と呼ばれ、南与野駅からさいたま新都心駅までを散策するコースとして紹介されています。

 

与野の大カヤ

 

大カヤは、小ぢんまりとした敷地内に建っていました。辺りには民家も立ち並び、地域の人たちが集まる憩いの場との印象も受けます。

 

ですが、樹そのものは「威風堂々」との言葉がぴったり。敷地の中央付近にどっしりと根を降ろし、その安定した下半身から太くごつごつとし数本の幹を束ねたカヤ独特の凹凸のある主幹を、天に向かって真っ直ぐに伸ばし、枝葉を四方存分に広げている様子は、まさに圧巻だからです。地域住民が「榧木金比羅(かやのきこんぴら)」と慕い、御神木として祀ってきた理由に、納得です。

 

与野の大カヤ

 

大カヤは平安時代中期の長元年間(1028年~1037年)に植えたと伝えられていますから、樹齢は1000年以上。室町時代・応永年間(1394年~1427年)の頃には、既に関東随一の巨木としてその名が知れ渡り、旅人たちの道標として活躍していたそうです。

 

与野の大カヤ

 

国の天然記念物に指定されたのが1932年。その時点での大きさが樹高21.5m、根回り周囲13.5m、目通り周囲(目の高さでの幹周り)7.28m。今も樹勢は元気そのものですから、果たしてどこまで大きく成長しているのか。

 

樹の近くには中山道が走っています。中山道は現在も国道17号として利用されており、東京から新潟までを結んでいます。一世紀以上前は、街道を通る人の姿も様子も異なっていたはず。この大カヤはそんな時代の流れをずっと見続けてきたのかと思うと、神妙な気持ちになりました。