フリーライター『日日maika’i』

フリーライター杉山 忠義が書くブログです。

奥多摩町日原の山中に立つ倉沢のヒノキ

地域の94%が山林である奥多摩町は、東京都という好立地なこともあり、ハイキングや山登りスポットとして人気があります。中でも日原地区は特にみどりが豊かで、自然林も多く、日原の巨樹数891本は日本一です。

日原の山

倉沢のヒノキが立つ場所は、日原集落と倉沢集落の境の山中。訪れるのは容易ではありません。JR青梅線の終点、奥多摩駅から約1時間半間隔で走っているバスに乗り、山沿いのワインディングロードを揺られること20分。橋下が61メートルと、東京都が管理している中では谷深さが最もある、倉沢橋バス停で降ります。

辺りには都から天然記念物指定を受けている日原鍾乳洞をはじめとする、幾つかの鍾乳洞がある地域で、とにかく寒い。訪れた日は特に風が強く、寒さが身に堪えました。ヒノキを訪れる前に橋脇にある林道を散策すると、巨大なつららを数多く見ることができたほどです。


橋から200メートルほど日原方面に歩くと、倉沢のヒノキ入り口という看板が見えてきます。日原・倉沢地区は山岳信仰があった地としても有名で、山伏が過去に修験(しゅげん)していたとのこと。当然、ヒノキまでの道のりは険しいものでした。

硬い岩肌が露出した山道を、息を上げながら15分ほど登っていくと、3本の大きなモミの樹が見えてきます。

「ヒノキではなかった。まだかな……」とため息をつき重い足を上げ、尾根の方に目をやり再び一歩を踏み出そうとすると、そこにはこれまで見たことのない風景がありました。

倉沢のヒノキ
倉沢のヒノキ

両脇にモミの樹を従え、岩肌がむき出しの尾根にへばりつくように、それでいて全くブレる様子がなく、しっかりと根を安定させた倉沢のヒノキです。言葉で表すならば「威風堂々」。

倉沢のヒノキ
倉沢のヒノキ

以前この辺りに住んでいた方が、倉沢鍾乳洞を本宮とする倉沢権現(くらさわごんげん)のご神木として祀った気持ちが分かりました。

樹齢は1000年以上と伝承されていて、樹高約33メートル。幹周り約6.2メートル。東京都の天然記念物指定の他、「新日本銘木100選」にも選ばれています。

地上7メートル付近から主幹が数本に分かれているのが特徴的です。過去の落雷により主幹が折れ、そこから再び樹が生長した際に、現在のような形になったのではないかと推測されています。

倉沢のヒノキ

そしてそのような過去の経験から、現在では落雷による被害を防ぐため、避雷針が付けられています。実際に確認することはできませんでしたが、全国の巨樹を訪ね、絵に収めている巨樹画家・平岡忠夫氏が、この樹に魅せられ、町の人たちに避雷針の設置を勧め、全国では初めて巨樹専用の簡易型避雷針が付けられます。そして氏はその後、巨樹の里である奥多摩町がたいそう気に入り移住。自然との共存を訴えかける施設「森林館」を建設し、現在は同館の館長をされながら、横にあるアトリエで日々創作活動に励んでいます。

森林館

倉沢のヒノキを抜け、尾根をさらに登っていくと、現在は廃村となっている倉沢集落があった地につきます。手前にある日原集落との境のシンボルとしての役割も担っていたのではないかと、森林館解説員の方が教えてくれました(森林館は、倉沢のヒノキ入り口から日原方面徒歩30分ほどの距離にあります)。

倉沢のヒノキ

尾根の上側に回り樹を見ると、発見がありました。登ってきた側の表情とは異なり、樹表が若々しいのです。樹勢は良好であることが分かりました。

樹の脇のベンチに座り思いにふけっていると、モミの樹の方で「タッタッタッタ」と音が。「なんだろう?」と思い目をやると、はっきりとは見えませんが、なにか小動物が走る姿がありました。小動物はモミの樹からヒノキに飛び移り、その後どこかへ消えてしまいましたが、私はベンチから立ち上がり、あわててカメラシャッターを押しました。するとモニターには、リスの姿が写っていました。

倉沢のヒノキ

※倉沢ヒノキ周辺を訪れる際には、装備、時間など。事前に計画を立ててから訪れないと、思わぬ災害を招く危険性があります。ご注意ください。