フリーライター『日日maika’i』

フリーライター杉山 忠義が書くブログです。

雑司が谷・鬼子母神堂の大イチョウ

鬼子母神は安産・子安(こやす)の神様で、境内には2つの像が祀ってあります。1つ目は、お堂建立のきっかけとなった母神像で、室町時代の永禄4年(1561年)に、現在の文京区目白台あたりで、掘り出されたと伝えられています。羽衣をまとい、左腕には赤ん坊を。右手には吉祥果(きちじょうか)という魔よけの果実(ざくろ)を持ち、にっこりと微笑んだ表情は、まるで鬼とは思えません。母神像が祀ってある本堂は、江戸時代初期の寛文4年(1664年)に建てられた豊島区最古の建造物です。お堂を管理する法明寺(ほうみょうじ)の創建も弘仁2年(811年)です。

鬼子母神堂

2つ目は石像で、こちらも鬼の形相ではなく、合掌した姿が訪れるものに癒しを与えてくれる、柔和な表情が特長です。

鬼子母神堂

鬼子母神は、過去には子どもを食べる残虐な性格でした。しかしお釈迦様の教えにより改心し、現在のような子どもに関する願いごとをかなえる、優しい神様になったとのエピソードが伝わっています。

このことから鬼子母神の「鬼」という漢字には、鬼の特徴である角を表したかのような、上の「ノ」の部分がありません。同寺が発行しているパンフレット類では、すべて角のない漢字(当て字)が使われています。

お堂への道のりは、池袋駅東口から徒歩10分ほど。車の往来が激しい明治通りを南下していきます。それが明治通りから左に折れた小道をちょっと入ると……。そこには驚くほど静かな町並みが広がっていました。地域に昔から住んでいるであろう、地元住民憩いの地という雰囲気が存分に漂い、訪れる者の心を和ませます。

雑司が谷の町並みは、道がまっすぐではなく入り組んでいます。このあたりは以前「稲荷の森」と呼ばれていた小高い丘の土地柄。お堂は形状が複雑な斜面に立っているため、境内に一歩足を踏み入れると、まるで別世界に迷い込んだような不思議な感覚に陥ります。出入り口が6つもあるのも、そのような印象を深くします。

生活の道として、毎日のお参り場所として、観光名所として。私が訪れた日も、様々タイプの人でにぎわっており、皆から愛されているお堂であることが分かります。

鬼子母神堂の大イチョウ

樹高約33メートル、幹周り約11メートル、樹齢約700年。善福寺、大國魂神社に続く、東京で3番目のサイズを誇る大イチョウは、都の天然記念物指定を受けています。

鬼子母神堂の大イチョウ

サイズは3番目ですが、主幹の損傷がほとんどなく、1本の太い主幹が天に向かってどんと伸び、その主幹から枝葉を四方に存分に伸ばしている姿は、何本もの幹が集まって樹の全体像が形成された他の多くの大イチョウとは一線を画す姿です。樹が弱ると根元から生えてくる小さな枝(ヒコバエ)の姿もなく、樹勢は良好であることが一目瞭然です。

樹勢だけ比較すれば、先に紹介した2つの大イチョウよりも上であることは間違いありません。その勢いの証なのでしょう。根を保護する役割の柵を越えてまで、根先が伸びていました。

鬼子母神堂の大イチョウ

老木雄イチョウの特徴である、気根もかなりありました。

鬼子母神堂の大イチョウ
鬼子母神堂の大イチョウ

古来より雑司が谷の神様として祀られている武芳稲荷堂(たけよしいなりどう)の赤鳥居に囲まれている姿も特徴的で、雄イチョウらしい、どっしりとしながらも、すらっと天に伸びた主幹の姿が凛々しく感じました。

鬼子母神堂

春から秋にかけては多くの葉を付け、その堂々たる姿をさらに強くすることでしょう。その季節に、また訪れてみたいと思いました。