フリーライター『日日maika’i』

フリーライター杉山 忠義が書くブログです。

栄松院のスダジイ

「栄松院(えいしょういん)」は、江戸中期の歌舞伎俳優・初代松本幸四郎(まつもとこうしろう)や、江戸初期の浄瑠璃太夫薩摩浄雲(さつまじょううん)といった、歴史的な文化人の墓があることで有名です。そんな栄松院へのアクセスは、東京メトロ南北線本駒込駅」から徒歩5分ほど。

 

栄松院(えいしょういん)のスダジイ

栄松院(えいしょういん)のスダジイ

 

目指すスダジイは、道路に面した山門から境内に入り、桜の木を抜け、本堂左脇の通路を進みます。その先、墓地が広がる院の敷地の最奥の角、隣接する小学校との塀堺に堂々した姿で立っています。

 

栄松院(えいしょういん)のスダジイ

栄松院(えいしょういん)のスダジイ

 

以前は東京都の天然記念物指定を受けていましたが、現在では受けていないとのこと。戦災による主幹大部分の消失が理由だと思われます。院の方にお話を伺うと、戦災前は立派な主幹に、今以上に見事な樹形が特徴的だったそうです。しかしなんと、戦時中に焼夷弾が樹を直撃したんだとか。痛々しく残る大きな空洞と焼け跡が、爆弾の威力を物語っています。

 

栄松院(えいしょういん)のスダジイ

栄松院(えいしょういん)のスダジイ

 

ただ、根幹にまではダメージが及ばなかったようで、樹が死に絶えることはありませんでした。終戦から60年以上経った今では、本堂とは反対側の小学校側の幹が勢いよく成長し、遠目からでは特に違和感がないほど樹勢は回復。枝葉を存分に広げて、樹全体の形をつくっています。

 

栄松院(えいしょういん)のスダジイ

栄松院(えいしょういん)のスダジイ

 

ところが、その元気の源である幹の太さが1.5mほどと細く、驚きました。焼け焦げおそらく枯れ死しているとはいえ、樹全体の幹周りは9mを越える、島を除く東京都で最大のシイです。よくぞこの細い幹で、これだけの巨樹を支えてきたのかと思うと同時に、「戦災に遭っていなかったら、どれほどの巨樹に成長していたのだろう……」と、複雑な気持ちになりました。樹高や樹齢は分かっていません。

 

栄松院(えいしょういん)のスダジイ

 

以前には、樹の根本にアオダイショウが住み着いていたとのエピソードが残っています。葛飾八幡宮の「千本公孫樹」でも、同じ逸話がありました。オダイショウ、特に白い種は古来より神の使いとして崇められたといいますから、この樹とヘビを神格化し、根本に祠と狛犬のような像を祀ったのかもしれません。しかしお寺の方に伺うと、いつ、だれが祀ったかは記憶にないとのこと。なんだか神妙な気持ちになりました……。

 

勢いよく枝葉が飛び出た隣接する小学校では、子どもたちが校庭で元気に遊ぶ声がこだましていました。子どもたちに負けじと、スダジイもまだまだ元気で在り続けることでしょう。