フリーライター『日日maika’i』

フリーライター杉山 忠義が書くブログです。

祥應寺のコノテガシワ

祥應寺のコノテガシワ

「祥應寺(しょうおうじ)」は祥応寺とも表記され、JR中央線、西武国分寺多摩湖線国分寺駅北口から徒歩10分の場所にあります。

平安時代、駅の南側に建てられましたが、鎌倉時代末期の戦乱により消失。その後、地元住民の菩提寺として享保11年(1726年)、引寺(ひきでら)というかたちで現在の場所に建立されました。そのとき同時に、コノテガシワも移植されたといわれています。

寺の跡地がある場所は、聖武天皇が全国に建立を命じた、国分寺および国分尼寺跡地と同じ地域です。つまりコノテガシワは国分寺建立当時に植えられた樹、あるいはその子孫とされ、大変貴重な存在といえます。

寺に向かう参道を歩き山門に近づくと、青い空と真っ白な雲のバックに浮き立つ、濃い緑色の枝葉が鮮やかなコノテガシワが、お寺の建物の屋根越しに見えてきます。

祥應寺のコノテガシワ
祥應寺のコノテガシワ
祥應寺のコノテガシワ

樹は2本移植されますが、残念なことにその後1本は枯れてしまいます。しかしその枯れた樹の切り株を掘り起こし、1931年頃に地蔵を彫刻。地蔵の背中には樹齢600年と刻印が施されているそうですから、現存しているコノテガシワの推定樹齢は680年近くになると推定できます。

つまり、移植時すでに400年の樹齢であったわけです。当時はユニックやトラックといった専用車両はありませんから、いかに苦労してこの地に移植されたかが想像できます。

樹高12m、幹周り2.7m。コノテガシワとしては国内で2番目の大きさを誇り、市の天然記念物に指定されています。なお地蔵は寺の墓苑入り口に立ち、墓参りに訪れる者をひっそりと迎えています。

祥應寺のコノテガシワ

コノテガシワはヒノキ科の常緑樹であり、朝鮮・中国あたりが原産地といわれています。現地では年間を通して葉を落とさないその姿から、不変、長寿の象徴として親しまれ、特に宮殿・寺院の庭園に植えられてきた歴史があります。

樹のそばに座り、しばし目を閉じ静かに佇むと……そばにある池に流れ落ちる水音が心地よく聞こえ、コノテガシワが歩んできた悠久の時間を共有しているような。そんな、高貴な感覚を覚えました。

祥應寺のコノテガシワ

コノテガシワというユニークな名前の由来は、たくさんの子どもの手が挙がっている姿に見えるからなんだとか。万葉集では「児手柏」と表記されています。

しかし同寺のコノテガシワは、金平糖のようなユーモラスな実をたくさんつけ、子どもの手は重そうに垂れています。落ちていた実を観察すると、中に種が確認できました。

祥應寺のコノテガシワ
祥應寺のコノテガシワ

他のヒノキ科の植物と違い、枝葉の表裏の区別がないのも特長で、じっくり観察すると、たしかに表裏の区別がつきません。ヤモリの指のようにも見えました。

枝葉の表

枝葉の裏

コノテガシワは樹冠(樹が枝葉をつけた際の外観)の良さから、街路樹や公園木としてだけでなく自宅観賞樹としても人気があります。身の回りのコノテガシワを観察すれば、多くの金平糖が見つかるかもしれませんね。