フリーライター『日日maika’i』

フリーライター杉山 忠義が書くブログです。

霞ヶ城公園のマツ

霞ヶ城公園(かすみがじょうこうえん)」はその名から分かるように、城の跡地を利用して整備された公園です。城の起源は諸説あるそうですが、応永21年(1414年)、当時勢力を誇っていた武家・畠山満泰(はたけやまみつやす)が居城として築城といわれています。

 

霞ヶ城公園

 

140年後に伊達政宗により落城すると、その後は様々な権力者の手に渡り、寛永20年(1643年)に二本松藩が誕生したのをきっかけに、丹羽氏の居城に。城下町も整備され江戸・明治まで220年に渡り繁栄します。

 

ところが慶応4年(1868年)、戊辰戦争によりすべてを焼失。その後は地場産業の工場として活用された後、現在の公園になります。公園として市内一の広さを誇る敷地内には、滝、池、藤棚、推定樹齢350~400年のイロハカエデなど見所が満載。桜の名所としても広く知られ、日本さくら名所100選にも選ばれています。

 

霞ヶ城公園

霞ヶ城公園

霞ヶ城公園

霞ヶ城公園

 

元々は二本松城と呼ばれていましたが、春に咲く園内約4500本の桜を天守台から見ると、まるで霞がかかっているかのごとく見える様から、現在の名前に。そして1991年の発掘調査をきっかけに石垣の修築・復元工事が行われ、現在のような姿に修復。2007年には国の史跡に指定されます。

 

標高345mの丘陵・白旗が峰に築かれた平山城(ひらやまじろ)というタイプの城のため、最寄り駅であるJR東北本線「二本松駅」から向かうと、坂道のアップダウンが続くかなりハードな道中です。燦々と照りつける太陽の下、したたる汗を拭きながら歩くこと15分、シンボル的な箕輪門が見えてきます。

 

霞ヶ城公園

霞ヶ城公園

 

箕輪門を抜けたすぐ左側の石垣上に立っているのが「箕輪門のアカマツ」です。樹は5本あり、推定樹齢は350年、樹高は9~12m、幹周りが約2~2.5mで、石垣とマツの調和が見事です。以前紹介した多摩川沿いにある阿蘇神社のシイと同じく、根本から下に枝葉が垂れ下がった懸崖(けんがい)が特徴的でした。日当たりも良く樹勢は良好のようです。

 

箕輪門のアカマツ

箕輪門のアカマツ

箕輪門のアカマツ

箕輪門のアカマツ

 

アカマツの脇にある石段を登り城内を西に進むと、丘陵斜面に立つ傘松が見えてきます。推定樹齢300年、樹高約4.5m、幹周り約3.9m、地面から約1.6mの高さで枝が3つに分かれ、そこから約14mも広がった枝の様相はまさに“傘”そのもの。樹勢は良好で市の天然記念物指定を受けています。形は異なりますがこちらも箕輪門と同じアカマツです。

 

霞ヶ城公園の傘松

霞ヶ城公園の傘松

霞ヶ城公園の傘松

霞ヶ城公園の傘松

霞ヶ城公園の傘松

霞ヶ城公園の傘松

 

快適な歩き心地のウッドチップが敷き詰められた散歩道が、樹のまわりにぐるりと設けられていて、それぞれの場所で樹の異なる表情を見ることができます。

 

場所によってはまるで円盤型のUFOの様でした。伸びた枝を支えるための支柱・竹が無数に設置されているのが、丘陵下の方からだとよく分かります。これだけの枝を張り伸ばしているだけあって、さすがに幹の太さは立派。

 

傘松は別名“八千代の松”とも呼ばれていますが、理由は分かりませんでした。次回は桜が見所を迎える春、あるいは藤の花が満開になる初夏の頃に再訪したいと思います。